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テレビは必要か?

2014年05月11日(日) 00:54

誰もこの点に触れようとしないが、テレビが存在する世界はもはや呼吸をするようなもので当たり前の概念になっている。だが、呼吸をしなければ死ぬが、テレビを見なければ死ぬのかといえばそんなことは決してない。私は逆に、テレビを見た影響で死ぬ人の方が圧倒的に多いと見ている。誰も触れないからこそ、「お前は何を言っているのだ」と批判する声が圧倒的に多いと思うが、私は激真面目に洞察をしている。

まず、テレビの定義から言わせていただくと、いわゆる国営放送のNHKはさすが国がつくるだけあって内容の濃さ、完成度のレベルが高いと思う。アルジャジーラ、BBC、CNNに並び、NHKは見る価値のある内容だと思う。一方で所謂キー局のTBSやテレビ朝日、フジテレビなどの民放の番組はどうだろうか。私の意見ではなく、事実を述べさせていただくと、民放放送は視聴率至上主義だ。つまり、国民の多くが視聴してくれそうな角のない無難な内容がそのほとんどを占めている。
「バラエティー番組」
「音楽番組」
「ニュース報道をするバラエティー番組」

民法で朝に報道されているニュースは、バラエティー番組である。コメンテーターも司会者も芸能界に所属するタレントであり、ステークホルダー(既得権益)に害する発言は一切せず、視聴者に喜ばれる発言をするように言われている。コメンテーターの中にはお笑い芸人や小説家が出演してしまっているのだから、もはやワタミで酒を飲みながらオヤジが意見を言っているような次元だ。それを真剣に聞き、共感している視聴者は相当数いると思うが、これは正気の沙汰ではない。本当に価値ある情報はNHKや海外の番組、インターネット上の限られたスペースでしか公開されていない。笑ってはいけないのだが、朝7時代のニュースバラエティ番組を見ていると、コメンテーターが真顔で、芸能人の破局の話を真剣に語っていた。これを知って何になるのだろうか。おそらく、こう反論する人がいるだろう。

『友達との会話の材料になる』

己のコミュニケーション能力の低さをアピールすべきではない。そのような話題でしか会話できないとなると、もはや致命的と言わざるを得ない。再度聞きたい。バラエティー番組を見ることにどのような意味があるのか?

私が思うに次の答えが正論だ。

『他にやることがない。そこそこ楽しめるからいい』

そもそも、テレビというそこそこ大きな買い物をしているため、買った人は見ないと損だと無意識的に考えるだろう。仕事もない休みの日は、特に楽しめる材料がない。よってテレビを見るという流れだろう。

私がなぜここまでテレビを見ることに危機感を募らせているかというと、これは『洗脳』にほかならないからだ。新興宗教に入っている人を馬鹿にする風潮があるが、私には到底理解できない。彼らは己の選択で宗教を信仰している。彼らを馬鹿にする人の多くは『宗教は洗脳』と言うが、はっきり言わせていただくと、テレビはそれ以上に洗脳の度合いが強い。さらに、本人も気づいていないケースが多い。

私が問いたいのはそこなのだ。洗脳が良くないと思うならば、テレビを見ている人は注意する必要がある。テレビはいつの間にか視聴者のマインドをコントロールしている。『楽しい』という感情、『つまらない』という感情、笑うタイミングの操作、涙を流すタイミングの操作、かっこいい話し方の操作、イケてるファッションの操作・・・人々の私服を見れば一目瞭然だが、皆同じように見える。それはテレビが「おしゃれ」と定義づけた人が着ている服を真似したからではないか。いや、本人は真似をしたという意識はない。既に「それがイケてる服」と洗脳されているため、無意識のうちに、似たような服を選ぶのだ。似ているのは服だけではない。

話し方
雰囲気
話題

も同じ・・・つまるところ、テレビは見ている人の価値観を統一させようとしているように思える。この試みは功を成し、日本人は皆同じような人ばかりになってしまった。そうなると、テレビに依存しない人から見ると違和感が漂ってしまうのだ。本来違和感を持つことが正常な判断だが、大多数の人がテレビに洗脳されている今、「それは間違っている」などと言えば、周囲から白い目で見られるのは必至だ。だから最初に申し上げたことが起こる。つまり、テレビのある世界に生きる人と、テレビのない世界に生きる人の人生観の違いだ。

前者は価値判断の基準はテレビにあり、後者は価値判断の基準が自分に帰属している。これは大きな問題で、今後社会問題化すると思うのだが、なぜ誰も指摘しないのだろうか。
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