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謙遜は美徳だが、適度に。

2014年03月27日(木) 08:18

日本の美徳といえば何といっても『謙遜』があげられます。これは諸外国にはない素晴らしい美徳です。私もよく謙遜しますが、大切なのは『case by case』です。適度な謙遜は余裕を感じさせますが、過度な謙遜は存在感を失わせます。たとえば、


『納得のいかないこと』について。


3歳になると人間には自我が芽生え始め、20歳くらいになると、ある程度自分の考えが明確になってきます。だが、謙遜ばかりしている人は、『私なんかが・・・』という前置きが常に入り、自分で物事の定義を考え直すという習慣ができない傾向にあります。そうなると、『納得のいかないこと』が目の前にあっても、それに嫌々従い、反論するという術を一切行使できないことになります。実際私にも経験があります。中学生のとき、従順な子羊のようだった私は、クラブの先輩の言っていることが絶対的に正しいと思い、『自分が先輩に意見を言うなんてあり得ない』と考えていた。そのため、今から考えると、明らかに理不尽なことに対しても『はい』としか言わず、決して『いいえ』を言わなかったのです。それは言わなかったのではなく、言えなかったのです。自分で物事を考える癖がついていなかったため、意見を言う以前に、先輩・先生が絶対に正しいと思い込んでいたわけです。まるでカルト宗教の信者のようですが、謙遜ばかりしていると、『自分なんかが意見をいうのはおかしい』と思い込み、自分で物事を考えるという習慣がなくなってしまいます。だから教祖様が正しいと言わんばかりに、先生が正しい、先輩が正しい、と考えもせずに断定してしまうわけです。


技術的なこと、知識、学術的なことに関しては、先生や経験者のいう事は『正しい』ので、有無を言わずに従うべきですが、『物事の考え方』というのは、その人その人個人の生き方の領域であるため、『誰が正しい』ということは絶対にありません。よって、誰が何を言ったかではなく、『自分はどう思うのか』に従って行動することが大切だと思います。あまりにも謙遜ばかりを繰り返してしまうと、それが習慣になり、自我が薄くなってしまうでしょう。


今日の名言:謙遜は時として大切だが、普段はする必要はない
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