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人の命の価値に格差が・・・

2014年02月22日(土) 23:52

現在、ウクライナで政府と反政府勢力の衝突にて、すでに80人以上が死んだという。その映像を見ていると、まるで人間を人間と思わないかのように、射殺している。


ウクライナと言えば、世界一の美女の国としても有名だが、それはさておき、シリアやベネズエラでも、このような残虐な事件は起きている。まるで蟻を潰すかのように、人間を殺す風景を見ると、人間の死が「700人」とか「12000人」などの数字としてカウントされてしまい、末恐ろしく感じる。たとえば、先日日本の26歳の女性が何者かに頭部を撃たれて射殺されたと報道され『恐ろしい』と誰もが思ったはずだ。この女性の命の尊重レベルは、相当高いものだと思う。その一方で、ウクライナやシリアでは、毎日のように、この女性のように頭部を撃たれて亡くなっている人たちが何十人、何百人といる。彼らは一切名前も報道されず『何人』というようにカウントされるだけだ。



同じ人間でもここまで人間の命への尊重度合いが違うのかと思うとゾッとする。そして、なぜこのようなことになってしまうのかと言えば、やはり『経済状態』だろう。このまま日本が経済衰退しまえば、日本の治安も悪化し、今のウクライナのように、一人一人の命の価値が下がってしまうのだろう。


このような現実を目の当たりにすると、私は大きな恐怖ともいえる危機意識を持つ。つまり、日本がこのまま経済衰退するという現実味だ。それを阻止するには、一人一人が、今の日本を作った人々を尊重し、積極的に勉強・仕事をしていく必要があると改めて感じる。ウクライナの人は日本人よりもはるかに貧しい状況で日々努力をしている。生まれつきの環境の違いだけで、日本人だけが緩い日常を送る権利はない。そして、このような『今を当たり前と思い、ぬるま湯に浸かる生活を送る』ことを続けてしまえば、日本もウクライナのような状況になってしまうだろう。そして、いつ日本がデフォルトしてもおかしくない現在、それは刻一刻と現実に近づいている。
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