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日本の民度は高くあるべき

2010年03月12日(金) 13:13

いつの時代にも愚かなものは存在するが、今現在の日本には残念ながらそう言わざるを得ない人々が多く存在しているようだ。私は医療関係の人間としてこれは許しがたい事実だと感じていることがある。今回は2つの事実をご紹介する。まず、「救急車」にまつわる驚くべきニュースだ。東京消防庁管内の平成20年中の救急出動件数は65万3,260件で、1日平均1,785件に出動し、実に48秒に1回の割合で出動したことになる。

救急車を呼ぶということは「緊急事態」の場合であるはずだが、どうやら現実は違うらしい。詳しいパーセンテージは分からないが、これらの件数のうち、かなりの数が「タクシー代わり」に救急車を呼んでいるというのだ。これはジョークならば楽しいし、ユーモアのセンスに富んでいるといえるが、残念ながら「現実」である。つまり、ただの非常識な行動と言わざるを得ない。タクシー代わりに呼ぶとはどういうことか?たとえば次のようなことだ。
●コンタクトレンズがとれない
●ねずみが出た
●子供が学校で微熱を出した
●飲みすぎて酔っぱらった
・・・
これらはほんの一部だが、どれも現実に起きたことだ。これ以外にも、
●呼んだにも関わらず、「やっぱりいい」と断る人
もいるらしい。もはや、人間ではなく「犬以下」と言わざるを得ない。というのも、犬の存在は大きい。存在するだけで人を癒してくれる。しかし、今紹介したような人間の存在は、「本当に搬送を必要としている人々の命を奪う」ことには貢献しているが、それは=「社会にとって脅威」であることに等しいのだ。

緊急を要する人はたくさんいるわけで、1分でも遅いと「心肺停止」になってしまう症状はたくさんある。私を含めて、すべての人が同じような経験を将来することになるだろう。その時に、「どこかの子供が学校で微熱を出した」ことを理由に、本来来るはずの救急車がこれなくなってしまったら、みなさんはどのように感じるでしょう。「ラッキー、これで死ねる」と思う方は問題ないが、多くの人は「なぜだー」と叫びたくなるはずだ。しかし、こういうことが実際に起こっており、「子供の微熱」や「酔っぱらい」が『餅を詰まらせて3分以内で死んでしまうおじいさん』よりも優先されて搬送されているのだ。これは日本の危機であり、社会問題だ。日本は民度が高いはずでは?

そして、もうひとつ。「患者の理不尽な態度」である。
以下にその現実を紹介する。(とあるニュースをコピーしたもの)

注意に逆上し、包丁を突きつける患者

救急医療担当の勤務医Sさんは語る。
「殴られる、蹴られるで、あざができたり、顔が腫れるのは日常茶飯事。入院後の患者に、無断外出を注意したら包丁を突きつけられたこともあった。酷いときは警察を呼びますけど、『相手は患者さんでしょ』と言って、まず立件してくれない。完全な泣き寝入りです。暴力以外では、軽症の患者さんに『帰るから救急車を呼んでくれ』なんて言われることもある」 
救急車を一回出場させると、約4万5000円の費用がかかるという。もちろん我々の血税ではあるが、それを少しでも取り戻そうと行動する姿は、モンスター以外の何者でもない。
・・・

これは中国の話ではない。我が国日本の話である。

医師と患者の関係は最近見直されており、「患者主体の医療」というフレーズをよく耳にする。しかし、以下のような、「殴る」「蹴る」「軽傷で救急車を呼ぶ」などということを以って「患者主体」というならば、ただの「馬鹿げた考え」となってしまうだろう。なぜ、日本人がここまでモンスター化してしまったのか?もし、「患者だから医師になにをしてもいい」という考えがあるのならば、これは日本人のメンタリティの問題にかかわってくるし、抜本的な対策が必要と言えるだろう。なぜならば、「税金を払っているんだから、好きなときに救急車を呼ばせろ」というのは、全く論理になっていない。政府が働いてくれているから国民が生活を送れるのであり、そのために、我々はお金を払っているのだ。それはまさに、「ギブアンドテイク」の関係だ。よく考えてみてもらいたい。もし、政府が今までのように働いてくれなかった場合を・・・いままで常識とされていた「食事」「学校」「仕事」「医療」「買い物」・・・これらが機能しなくなり、すぐさま「フィリピン」のような無法地帯となってしまうだろう。なにせ、「法律」がなくなるのだから、「強盗」「人殺し」などが急激に増えるだろうし、「経済大国」から「途上国」に落ちてしまうのは免れない。そのくらい、政府の必要性は大きいのだ。そのため、協力として「税金」や「保険料」があるのだ。

さきほどの話に戻るが、このようなギブアンドテイクの関係であるにもかかわらず、「俺は税金を払ってるんだから、軽傷でも救急車を呼ぶぞ」というのは、ただの「愚民」にすぎない。自分は国家の法律に頼って身の安全を保ち、家業を続けながら、都合のいいところだけ頼り、自己の欲望のために好き勝手にするというのは、矛盾した状態である。福沢諭吉のような偉大な方が今の時代にいれば、すぐさま、そのような愚民は罰せらる事だろう。こ福沢諭吉は著書「学
問のすすめ」の中で次のように言っている。

「政府だけに国を任せ、はたからこれを見物するという道理がどこにあろうか。すでに日本国の誰、英国の誰と、その姓名の肩書に国の名がある以上、その国に住み、日常生活を自由自在に行う権利がある。すでにその権利があるのだから、それに伴う義務がないはずがない

また、次のようにも述べている。

「道理がある相手とは交流し、道理のない相手は打ち払うだけだ」

まさに、その通りだと思います。浅学非才な私がいうのも気が引けるが、これは政府が悪いのではなく、愚民が悪いのだ。むかしの格言にあるように、「愚民の上には苛酷な政府あり」・・・まさに、今の日本が忘れていることといえるだろう。ロシアや中国のように「非人道的な罰」は共感できないが、最低限でも「罰金を払わす」などの法律をつくるべきだと思う。これは決して厳しい意見ではない。本当に命の危機にある「お年寄り」や「妊婦」を搬送する、助けるというのが本来の医療の姿であり、軽傷な人のために、それらの命が犠牲になるのは避けたいことである。

最近は「医療関係」の本が増え、「患者は医師にだまされないように知識を得よう」などというメッセージ性が強く感じられるが、これは「アホな考え」だと思う。どんなに文庫本を読んでも「患者の知識」が「医師の知識」を上回ることは絶対にない。積極的に患者が「医学知識」を学ぶことは大いに賛成だが、その理由が「医師にだまされないように」であるとすれば、それは全くおかしな考えである。福沢諭吉がこの世に生きていたら、顔を真っ赤にされて「一体医師をなんだと思っているのか?無礼にもほどがある」とおっしゃることは目に見えている。医師は10年以上にわたり「医学」を「勉強」しているという事実を無視してはいけない。もちろん、質問材料として「知識をつけましょう」というのは素晴らしいことだと思う。問題なのは、「だまされないように」という呆れた考えのことである。医学は他の分野とは異なり、医師の決断は「命」を左右しているのだから、文庫本を読んだ程度の知識で反論するというのは見当違いだろう。

日本は経済大国の地位を少しずつ抜かれようとしている。しかし、「国民性は世界でトップであるべきである」というのがLの談話室の考えである。
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