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決断できる人・できない人

2012年08月31日(金) 00:17

自分で決断ができない人がいる。決断をするときに友人に相談をしてしまうのだ。換言すると、友人を介して決断をする。小さな決断から大きな決断まで、決断をする際に「人」というクッションが入るのだ。これは「良い」とか「悪い」とかの問題ではなく、その人の性格だから仕方ないと思う。だが、こういう人を仮に「Sさん」とし、決断に「人」というクッションがない人を「NSさん」すると、SさんとNSさんが日常生活で友人関係に至ることはないと思う。なぜならば、これは単純な出来事のようで、極めて人の本質的な根本的な「価値観の違い」を表しているからだ。世の中には「決断できる人」と「決断できない人」しかいない。これは水と油といえるだろう。

実際に、私の周囲を見渡してみても、いつも何人かで一緒に行動している人たちのグループというのは「Sさんグループ」である。逆に、常に1人、あるいは常に違う人(年齢問わず)といる人たちのグループは「NSさんグループ」であることが多い。たいてい、Sさんグループのメンバーは3人~5人くらいである。一方でNSさんグループのメンバーは「1人」だ。つまり、決断が出来る人というのは決断するときだけでなく、常に1人でいることが多い。20歳を超えたらみんな1人でいるだろう、というのは幻想に過ぎず、中学生・高校生同様に、20歳を超えても集団と常に一緒に行動する人はたくさんいる。いや、マジョリティと言っても過言ではない。逆に1人でいる人はマイノリティである。とりわけ女性は集団でいる人が圧倒的に多く、Sさんが9割を占めているように見える。

これはとても残念な現象であり、無念の極みだ。なぜならば、せっかくの素晴らしい人間性の持ち主であっても、グループに帰属することによって、決断するときはグループの意見が大きく反映されてしまうからだ。私が聞きたいのは本人の新鮮な声なのにもかかわらず、グループの総合意見のようなものが聞こえてきてしまうのは残念だ。なぜ、こんな馬鹿げたことが起きてしまうのか。おそらく、Sさんグループの人にとっては、人をクッションにしたほうが楽だからなのだろう。すなわち、決断の結果誤ったとしても、「私の意見ではない」と言い訳ができるからだ。進路にしても、就職にしても、結婚相手にしても、失敗をした場合に「これは私の決断じゃない。~さんの言うとおりにしただけ」と言い訳をすれば自分に責任はなくなる。しかし、進路にしても、就職にしても、結婚相手にしても、その人の短い人生においてかなり大きな影響をもつことは間違いない。その大事な決断を「誰かの意見」に左右されるというのは私には全く理解できない。そもそも、決断の結果誤った場合、誰かのせいにすること自体、その人が自立していないことを自ら示しているようなものではないだろうか。つまり、「誰か」に責任を転移できるほうが良い、という考えと「自分」の責任と考えるほうが良い、という2つの大きな価値観の違いがそこにはあると思う。類は友を呼ぶということわざがあるが、確かに、この2つの大きな価値観の違いを持った者同士が友人関係になるということは考えられないため、このことわざの示すとおり、SさんはSさんと、NSさんはNSさんと交友するようにできているのだろう。
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