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なぜ?思考の重要性

2012年03月22日(木) 13:18

題名にあるように『なぜ?』を問いかけることは、いかなるときにも大切なことだ。一つの例外を言えば、コミュニケーションツールとしてはお勧めしない。間違いなく『面倒な人』の烙印を押されてしまうだろう(わが国では)。さて、インド人や中国人は病的なほどに『なぜそうなの?』という質問をしてくるという。講演の最中でもお構いなしに『WHY?』という言葉が飛び交うようだ。ユダヤ人は言うに及ばず、アメリカ人のほとんども、日本人からすると『なんでこんなに細かく言ってくるんだ。うざい』と思うくらいに『質問』と『答え』には時間をかける。

以前ある女性が言っていた。

『日本の男性はレディーファーストがないから嫌だと思ってたけど、アメリカの男性は表面的なレディーファーストなだけで、すごく独善的で自己中よ。間違いなく日本の男性のほうが優しい』

それは、海外の多くは『黙る』『NOを言わない』場合に、「賛成している」と解釈されてしまうため、言葉に出して具体的に自分の考えとその理由を言わなければならないと言う事に起因しているだろう。実際に、100人いたら98人が同意見の日本人に対して、100人いたら100人意見が違うのがユダヤ人である。こんなジョークがある。

『ユダヤ人が3人集まると、5つの派閥ができる』

すなわち、それぞれの考え方が完全に独立しており、「反対意見を言う事が当然」という感覚なのだ。ここまで来ると我が国では完全に干されるためお勧めしないが、少なくとも、『なぜそうなのか?』という問いに対して有る程度自らの答えも持つべきだろう。

たとえば、『なぜ、怒られたときにブスッとしてはいけないの?』という問い。
この答えに対する私の答えは

『怒られる理由は全て自分にある。すなわち、ブスッとするのは見当違いだ』

である。例えば、私はピアノを習っている。先生はそこまで厳しくないが、家に帰って練習をするときに非常に厳しい先生がいる。それは自分自身だ。私はピアノの練習中、何度も自分に侮蔑語を使うし、顔をビンタするのは当たり前で、食事抜きにすることもある。だが、さっきあれだけ練習したにも関わらず、再度同じところで失敗をするというのは、愚か以外の何物でもないのだ。つまり、何度も同じ失敗をする奴は、怒鳴られて当然なのだ。これはなにをやるにしても同じで、時間を無駄にしてしまったのは『誰でもない。まぎれもない自分自身』であるし、運動が苦手なのは『運動をやってこなかった自分自身』であるし、不愉快な人と飲むのは『そいつに付き合った自分自身』であるし・・・全て自己責任なのだ。それを人のせいにするのは楽だが、一生成長しないだろう。たとえば、大学の実習で患者さんを不愉快な気分にさせてしまった場合、その原因は己の行動にある以外の何物でもない。そこを反省し、改善していかなければ次への道は閉ざされることになるだろう。その際、担当の先生から注意・指導されるのは『当然』であり、それは「火を見るよりも明らか」のレベルである。にも関わらず、悪口を言ったり、ブスッとしたり、ストレスがたまったり、疲れたなどと言ったりするのは自己中の極みだ。

よって、「怒られたときにブスっとするのは見当違いだ」という結論に至る。

今回は私の考えを述べたが、少なくとも結論に至るには理由がある。その理由を自分なりに考えて、『誰がなんと言おうとワシはこう思うんじゃ、文句ある奴は殺してやる』くらいの確固たる意見を持つべきだと思う。少なくとも私の場合は、何事も自分で納得できない限りは前には進めない。そのため、スタートはいつも遅いのだが、この基盤があるため、途中で必ず追い抜かすことになる。この世の中にあるあらゆる事象には、すべて理由があるはずだ。その理由に絶対はない。だからこそ、自分でその理由を考え抜き、それを基盤にした「ぶれない姿勢」で事に挑む必要があると思う。無論、「頑固だな」と言われるだろう。だが、それを頑固と思う方が異常なのであり、実際に『なぜ頑固なの?』という問いに答えられる人は100発100中いない。なぜならば、そういう人は、「頑固である」ことを「柔軟でない」と同義であると考えているからだ。

しかし、確固たる意見を持つ、ということは自立することでもある。社会で活躍しているリーダーの中に、自立していない人がいるだろうか? まずいないだろう。ではそういう自立したリーダーたちは柔軟でないか? そもそも、人を動かす、チャンスをつかむ、道を切り開いていく人たちが柔軟な思考をもっていないはずがないのだ。つまり、『確固たるぶれない考えを持つ』ということは決して『頑固』と同義ではないのだ。

むしろ、頑固と言う人ほど、既成概念で雁字搦めになっており、「柔軟」でない可能性が高い。柔軟でなければ、あらゆるチャンスを見逃すことになるし、傲慢になることは言うまでもないことだ。また、人の価値観はそれぞれ違い、譲れない部分というのは必ずあるものだ。それを表明することが『頑固』と言われてしまうのならば、それこそ『それを決めつけるお前こそ頑固だ』という話になる。

日頃から『なぜ?』を問いかけることは自立することへの第一歩だと考える。
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