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マスマンからの脱却

2011年10月25日(火) 21:25

私はマスという言葉が嫌いだ。そもそも、英語でもmassというのは否定的な意味合いが強い。日本語訳すると『大衆』『大量』という意味になるが、マスコミュニケーション、マスプロダクションなどは、全て大衆向けに存在する。さて、大衆とは何か。大衆とは平均人のことだ。平均人とは何か。私の解釈では『世間というバックに大きな影響を受け、そのルールを共有する人間のこと』を指す。そもそも、世間という言葉は日本にしかないし、こういう概念は海外には存在しない。よって、海外の人と日本人との最大の差は『世間の有無』なのかもしれない。彼ら[海外人]にとって存在するのは『社会』なのだ。
ここで本音を一言言わせていただく。

『世間という概念そのものを破壊してしまえ』

日本の伝統的な文化である『世間』という概念ではあるが、こんなものを潰してしまえと言いたい。なぜならば、この概念の存在が、直接的に、独立した人間の出現を困難にし、間接的に、独立した人間を排除しようとする空気を創り出すからだ。

福沢諭吉も強く訴えているように、『独立自尊』こそが、20を超えた人間にとって最も不可欠な課題ではなかろうか。この意味するところは、「心身の独立を全うし、自から其身を尊重して、人たるの品位を辱しめざるもの、之を独立自尊の人と云ふ」ということだ。そして、この課題をクリアするための最も大きな弊害は『世間の存在』であるというのが、私の意見だ。たとえば、企業が不祥事を起こすと何が起こるかというと、必ず記者会見を開き謝罪をする。まるで世間から『まあ、ここまで反省しているのならば、許してやろう』という暗黙知が聞こえてくるかのようだ。そして、スポーツ選手しかり、芸能人しかり、海老蔵しかり、朝青龍しかり・・・ミスをした者は必ずテレビの前で謝罪をする。その謝罪で重要なことは、『本心からの謝罪』ではなく、『謝罪会見を開く』という表面的・形式的なことだ。この『形式的な』というのが、日本の根本に存在する気がしてならない。何事も『形式的なこと』にこだわることはいかがなものだろうか。部下が失敗したら、『まず謝れ』あるいは『土下座しろ』。『お辞儀は何度まで下げろ』。『ビールの注ぎ方』『上司・先輩のカバンを持つタイミング』『このくらいの額を包むのが常識だ』・・・これらは例えの一部にすぎないが、あまりにも『形式的な事』が多すぎる。そして、それを重要視しすぎているように感じる。これらは全て「世間」という媒体を介しているということに気付いてほしい。

たとえば結婚式招待された時、『いくら包めばいいかな?』と疑問に思うと、『友達はいくら包んでいるかな』と考え、これだと『失礼かな』と考え、友達と同じ額を包むこととする。つまり、世間体を考えるわけだ。これは、典型的な日本人の行動パターンだが、私はこれを否定しているわけではない。だが、間違いなく、この延長線上には「独立の妨げ」があるということを断言しておく。なぜならば、このような行動を続けていると、『自分の身の丈に合ったモノ』『自分に合うもの』『自分が欲しいもの』『自分がやりたいこと』という本来主体的に行うべきことが、全て他者に依存することになってしまうからだ。その結果、行動をする度に、『世間は?』という前提が先に頭によぎってしまう人が誕生する。これは世間第一主義と言えよう。芸能人じゃあるまいし、己は一体何者だ?と問いたくなってしまう。

いったんこのシステムを自らに導入してしまうと、そこから抜け出すことは非常に難しいと思う。というのも、この溝[世間第一主義]の中の居心地は決して悪いものではないからだ。むしろ、受け身が好きな人にとっては、この溝を抜け出すことはジャングルに飛び込むようなものだ。なぜならば、この溝の中に入っている人の方が、圧倒的に割りあいが多い。つまり、元来集団主義である日本人にとって、この場所を抜け出す理由はどこにもないということになる。もっとも、抜け出す理由は腐るほどあるのだが、それを説明するのはあまりにもバカバカしいためここでは省く。本人たちが意識する・しないに関わらず、この溝に入っている人達は、『独立自尊』からは程遠い場所にいるということは間違いのないことだ。

さて、ここで面白い例を挙げる。
これは日本人とアメリカ人[別に中国人・フランス人でも構わない]との徹底的な考え方の違いだ。

●アメリカ人のAさんは、マンハッタンの駅のホームで転んでしまった。Aさんは足を少々痛めてしまった。当然のことながら、Aさんは痛みを止めるために、揉んだり、近くの椅子に座ったりした。

●日本人のBさんは、東京の駅のホームで転んでしまった。Bさんは足を少々痛めてしまった。当然のことながら、Bさんは『転んでしまったこと』を世間[他者]に見られてしまったために、恥ずかしくて顔を真っ赤にしてしまった。そして、逃げるようにその場を立ち去った。

とても分かりやすい例えだと思う。そう、このミニ小説に出てくるAさんは『独立した人間』であり、Bさんは『世間第一主義』である。

Aさんの場合、転んだ結果生じた痛みを止めようと行動をするのに対し、Bさんは、転んでしまったという行為を『世間様』に見られてしまったことを『恥』に思い、自らを安静にするより先に、その場から逃げようとする。
さて、少々乱暴な言い方になるが、Bさんの行動はもはや病的だ。そして、その原因は『世間』の存在であることは否定できない。よく言われる言葉に『日本人は恥の文化、欧米人は罪の文化』というものがあるが、それは、換言するならば、『世間を中心に行動する人と自分を中心に行動する人』ということになる。

自らで『善い』と思った行いをするのは一見当たり前のように感じるが、世間第一主義者の場合、それ以上に『世間からの評判』が非常に大きな重要事になるのだ。今回のケースでも、痛みを止めるのが正常だと思われるが、Bさんのプライオリティはそれ以上に『世間から見られたことによる恥』なのだ。その証拠に、自宅の庭で転んで『逃げる』人はいないだろう。まさしく『世間様』の存在に大きな影響を受けていると言えよう。

多くの教育現場においてもこの違いは顕著に表れている。おそらく、Aさんは自らの子供が痛がって泣いた場合、『ほら、もう泣かないの。大丈夫よ』などとアドバイスするだろう。だが、Bさんの場合、『ほら、もう泣かないの。~ちゃんに笑われるわよー』などと、誰かと比較したアドバイスをするだろう。これは、世間第一主義の考えを教育しているようなものだ。

また、経営者の関口房朗氏が以前講演会でお話していことだが、『日本人とアメリカ人の集団にメジャーを渡して身長を測ってもらった場合、アメリカ人は自分の身長を測って終わりだが、日本人は、周りの同級生の身長と比較し、自分を評価するというのである。『世間第一主義』を表す良い例と言える。

さて、ここまで説明すれば、この考え(世間第一主義)が独立することを大いに妨げているという事がわかるはずだ。よって、私は『世間という概念そのものを破壊してしまえ』と言っているのだ。これは決して日本の文化への否定ではなく、日本人を独立させるために不可欠な条件であるために述べているのだ。さらに、冒頭に述べた『間接的に独立した人を排除する』という運動も、まさに『世間様』の存在により行われてしまうのだ。なぜならば、世間という存在が、『多数決』という概念を生み、その結果として、マジョリティ[世間第一主義者]を守り、マイノリティ[独立した人間・するプロセスの人間]を排除するためだ。これは本来危険なことなのだが、多くの教育機関にて、いまだに『マジョリティ』の考えを重要視する教育をしているのは事実だ。

よって、マークザッカ‐バーグが日本に生まれた場合、間違いなくフェイスブックはできなかっただろう。いや、ビルゲイツ率いるマイクロソフトも、故スティーブジョブズ率いる アップルもできなかっただろう。すなわち、世間を重要視するシステムが日本にある限り、『マイノリティ[少数派]』や『ダイバーシティ[多様性]』の価値は尊重されず、マジョリティのみが平均的な生活をすることを尊重する社会しか生まれないだろう。それは結局、経済の衰退、活気の低下、独立した人間の海外への流出、日本版マークザッカ‐バーグの海外への流出・・・など、戦争は起こらなくても、活気も起こらない日本という未来しかないだろう。よって、一人でも多くの人が、マスマン、世間第一主義という『常識』を『非常識』と感じる時代になることが、日本の復活を後押しすることにつながるだろう。
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2011/10/30(Sun)02:01

私もステージは違いますが
伝えていきたいことは同じです。
保育の現場でしっかり伝えていきたいと思っています。

名前:ちかこ (URL) 編集

Re: タイトルなし

2011/10/30(Sun)19:14

そういう考えの人が増えれば、日本は明るくなるでしょう。

名前:ビーナルド (URL) 編集

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