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世界の人口×価値観

2010年03月03日(水) 13:09

「世界」という言葉があるが、この言葉ほど「ゾッ」とさせる言葉はない。今書店に行くと、「世界を知る力」という本を売っているが、「世界」を知ることほど重要なことはない。我々はとりわけ身近なことばかりに視点が行くが、正直もったいないことだと思う。私はありがたいことにいろいろな経験をさせてもらっており、「アメリカ人」「フランス人(リセ・フランコ・ジャポネで知り合った)」といった国籍の違う友人や、異業種の学部の人たちと関係をもっているため、いろいろな視野で物事を考える機会を与えられている。
 彼らと会うと、私の思考停止だった脳を活性化してくれ、新たな視点で物事を考え行動することにつながる。私は「常識」よりも「良識」を優先させるため、基本的には何事も良識をもって選択している。そのため、必ずどこかしらでハプニングが起きる。つまり、「常識」をベースに言行する者と「良識」をベースに言行するものという「ある種の視野の違い」がもたらす「お祭り」と言えよう。これは至極当たり前のことであり、無いほうが危険である。
 たとえば、ブッシュ前大統領を好きな人と嫌いな人との間には「お祭り」が起きる。こんな大きなことでなくても、「部活を途中でやめるものは落伍者」という考えと「個人の自由」という日常における些細なことでも「視界の違い」による「お祭り」は起きる。ちなみに、「歯学部では部活に入ること=当たり前」という考えが充満しているが、私は現在は入っていない。私の良識からいうと、「情熱を持てるもの自主的に行う」ことがプライオリティーの一位にくるため、「とにかく続けろ。継続は力なり」という日本のことわざを良識にするものとの間で意見の相違が起こる。たったこれだけことでも、人々の間ではいろいろな意見が生じる。

ある人は、「情熱がないものをやめることは至極当然のこと」
ある人は、「最後までやりぬくことに意味がある」
ある人は、「嫌ならやめればいい」
ある人は、「嫌なことこそやれ」
ある人は、「日本的精神をもて」
ある人は、「個人の自由だ」
・・・・・・・・
少し考えつくだけでこれだけある。これらの人々全員を説得する「セリフ」はないだろう。つまり、その者たちとの間で「お祭り」が起こるのは当然なのだ。しかし、この当然ある「自然の摂理」を無視して、「ダメだ。こうしろ」のように、強制的に物事を進める者がいるのも現実だ。

アリストテレス・オナシス(20世紀最大の海運王)は、こう言っている。

「世界は自由だ。ならば私は好きなことをする」

これも無限にある視点の一つである。

冒頭の「世界」という言葉。私が最も「ゾッ」とする言葉だが、世界は広く、日本の常識が世界の非常識と言われるように、「一致した常識」などないのだから、自分の好きなように「良識」をもって行動すべきだろう。現在の日本の常識の形成場は「メディア」であることは言うに及ばずであり、「しゃべり方」「服装」「趣味」「ファッション」・・・なにもかもが「テレビ」を筆頭に、メディアで紹介される「流行」が常識になる。そして、その流行を無視する者や馬鹿にするもの(私)などを「変質」と思ってしまう。これは「視界の違い」という当たり前の事実を無視した、極めて狭い視野の持ち主と言えるだろう。少しでも外の世界を見渡せばいろいろな人がいるわけで、メディアが作り上げる常識を一切見ていない人々も多く存在するのである。もう一度、「世界」を感じ、自分の言行というものの価値観を形成することが必要であるといえる。

 
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