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失敗は成功への切符

2011年09月06日(火) 09:22

このタイトルは、日本のことわざ『失敗は成功の元』にもあるように、とても大切な事実であり、私の座右の銘でもある。だが、口では『失敗は成功の元だよ』と言う人は知っていても、失敗をたくさんしている人にお目にかかったことがない。ちなみに、私は失敗を今月(9月)だけで3回している。先月はもちろん2桁だ。これは私の自慢であり、生きている証である。なぜならば、失敗をすると、『学ぶ』ことが多いし、必ずしも『間違ってはいないが、うまくいかなっただけ』という失敗も多いことに気づくからだ。まず、失敗はなぜ起こるのか?・・・寝ていても失敗は起こる→『ああ、時間を無駄にした』。テレビを見ていても→『なんで、勉強しなかったんだ』。カフェで注文しても→『なんで、これしちゃったんだろう』・・・このように、何をしていても『失敗』をすることはできる。ただし、これらは私としては失敗のうちに入らない。私にとって、失敗は『挑戦をした結果による残念な結果』のことを示す。なにか挑戦をすれば、結果が出る。そして、結果はたいてい『上手くいくか』『上手くいかなかったか』の2つだ。私の失敗の積み重ねの日常から言えることは、5回のうち3~4回は失敗する。だが、1~2回は上手くいく。つまり、50回やれば10回以上成功できると思う。そして、私が最も問題視しているのは、『失敗すること』を恥ずかしいとか、馬鹿なことであるかのように解釈する人が大勢いるということだ。それを最も感じる瞬間は、失敗を『身近な人』に見られた時だ。残念なことに、そのような時に、たいてい最初の1言は

『ほらね、言ったでしょ』とか『どうするの?』である。

己が失敗したことじゃないのに、わざわざ私の失敗を評価しようとしてくるのだ。たいてい、そういう人間に限って、『失敗をしたことのない人』である。つまり、『挑戦したことの無い人』だ。

「挑戦しなければ失敗もない。だが、成功もない」

ということを知っている人ならば、他者の失敗に対して、『ほらね?』などと言わないはずだ。こういう言葉を投げかけられることが、失敗したことの数百倍気分を害するという事実に気づいていないのだろう。

なにが言いたいのかと言えば、『誰が失敗しようと、それはその人の自由』である、ということ。誰にも迷惑をかけずに、自分の『目標達成のためのプロセスとしての挑戦』であれば、それが失敗しようと、そんなものは誰に何かを言われるような話ではない。私の友人は何事も上手くやるが、時として失敗もしている。そのようなとき、私は彼を1%も慰めようとも、励まそうとも思わない。それはその人の行動の結果であり、その人の勝手だからだ。

『誰が成功しようと、それはその人の自由』と考える人は多いのに、その逆はあまり浸透していない。なぜだろう。エジソンも数千回失敗しているし、フォードも数回破産しているし、偉大なことをした人は皆失敗をしまくっている。おそらく『ほらね?』という言葉を数億回言われているのではないだろうか。逆にいえば、挑戦・失敗を歓迎しない日本においては、『ほらね?』と言われるたびに一皮むけたと考えた方がいいのかもしれない。少なくとも、私はそう考えるようにしている。

ビーナルドのプリンシブルである『ビ-ナリズム』という本を会員には配布しているが、この第1弾にも書いたように、『犯罪したわけでもないのに、なぜ大げさに慌てるの?』ということを認識してもらいたい。失敗しないことが失敗だと、長い目でみれば私はそう思う。それこそが本来『ほらね?』と言われる対象であり、失敗を修業中に繰り返すことはむしろ『成功』だと私は考えている。


今日の強い「ひらめき」・・・目標達成には挑戦することがたくさんある。それらは上手くいくときもあれば、上手くいかないときもある。だが、そんなことはその人の学びになるだけであり、他の人が口出しすることではない。少なくとも、同じ目標を共有し、自分も過去に同じような失敗をした人だけが、小さな励ましを言えばいいと私は思っている。アドバイスは時としてマイナス作用を起こす。だからこそ、不用意なアドバイスを言うくらいなら、放っておいた方がいい。
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拍手

2011/09/06(Tue)12:58

何度も拍手ボタンを押せないのがはがゆいです。
これまでの経験上、人に対して「ほらね」と言うニュアンス(言葉でなくても)を投げるような人は
自分に対して
『だって』と言い続けている人のような気がします。

名前:智香子 (URL) 編集

登っている山が違うんです。

2011/09/06(Tue)16:59

Thank you.

行動するときに、『それができない』言いわけをするのが上手い人はたくさんいるですが、その逆の『できるようにするためにはどうすればいいか』を考えないと、人間の成長はないと思います。所詮、生きている時間など短いわけで、挑戦して、成功と失敗をくりかす刺激的な山登りの方が面白いと思います。

『ほらね?』という人は、公園にある小さな子供用の山を登っている人です。当然、富士山を登っている人と話は合いません。ましてやエベレストに登っている人とは、考え方の次元が違うんです。

私の高校の時の予備校の先生は次のようなことを言ってしました。

Failure is the tuition you pay for success.
失敗は成功するための授業料である

The person who says it cannot be done should not interrupt the person doing it.
何かができないと言う人間は、その何かに取り組んでいる人の邪魔​をしてはならない。

名前:ビーナルド (URL) 編集

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