<
< 2017年05月 |  123456789101112131415161718192021222324252627282930 | 2017年07月 >
ホーム  > スポンサー広告 > 不遇の時に真実が見える > 会長の考え > 不遇の時に真実が見える

スポンサーサイト

--年--月--日(--) --:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

不遇の時に真実が見える

2011年08月09日(火) 08:46

最近、このタイトルを実感するシチュエーションがあった。いや、これまでもこのような場面は何回かあったのだが、その都度感じてはいるものの、すぐに『不遇』から『普通』になってしまうと、不遇時の大切な学びを忘れてしまうのだ。これは私だけに限らず、多くの人にあてはまることだと思う。というのも、本当に冷静な判断が出来る時、というのは、意外にも『上手くいっている時』ではない。酔っぱらっているときに馬鹿げた判断をしてしまうのと同様に、気分が上昇している時に、調子に乗った判断をしてしまうのと同様に、必ずしも『良いコンディション』のときに、『良い判断』ができるとは限らないのだ。少なくとも私の場合は『良い時』よりも、ある種『悪い』ときのほうが良い判断(適切な判断と換言すべきか)が出来ていると感じる。たとえば、健康体のときは、『自費治療たくさんやって、雰囲気を整えれば金が儲かる』などという案も浮かんでくるのだが、具合が悪い時はそのような考えは一切浮かばない。まず第一に、具合が悪くなると、『枝葉末節』なことを考えず、『本質』しか見えないようになる。たとえば、シンガポールで具合が悪くなり、帰国後大学病院で診てもらったのだが、そのとき私を診療してくれた小太りの医師に対し、普段なら『この人、態度もっとよくしたほうがいいんじゃないの。もっと痩せて、言葉づかいも考えな』などと考えてしまうのだが、今回は、『自分ではどうにも対処しようのないことを対処してくれる専門家。頼りになる。素敵だ』と考えていた。だが、冷静に考えれば、前者よりも後者の考えの方が本質を突いた評価と言える。医師は一般の人が自身ではどうしようも対処の出来ない事を対処し、不安を取り除く天使のような存在であるからだ。結果、私も医療者になる立場として、『患者の不安を取り除くことのできるプロ』になろうと再度決意したのである。一見運の悪い出来事(今回の件で言えば高熱と嘔吐)が起きても、深く考えてみると、実際には良かったと言える点が多いことにも気づかされる。

不遇の時こそ、本当に大切なものが見えてくる。

これは私の今回の経験から得た『学び名言』だ。そして、人間は否応なしに皆『病気』になり死んでゆく。誰も老化を免れることはできない。今高齢者を見下している人たちであっても、いずれは自分も高齢者になる。そうでない場合はすでに死んでいる。人間は不確実なもので、絶対はないが、ほとんどの人は『病気』になり、ある種の苦しみを感じる時期が訪れる。これは避けられない現実。よって、その『不遇(弱っている)の時期』になったときに、『大切な本質』に気付くよりも、今、この健康な時に『大切な本質』に気付いた方が、後悔先に立たずは避けられると言える。上手くいってる時に『本当に大切なことは何か?』を見ることは難しい。これは経験済みだ。たとえば、事業で成功した人は本質を見られなくなり、『テレビで豪邸を公開』してしまう。その時から、その人の転落が始まるのだ。事業で成功を目指した時は、『金は事業推進の助けになる』と考えていた経営者も、いずれ本質が見えなくなり、その金を『無駄なアクセサリー(複数のブランド時計、鞄、車・・・)』に使ってしまうようになる。私は実際に転落した成功者を何人も知っているが、皆、初心を忘れてしまったという点で共通していた。明らかに、成功を目指していたころの『彼』と、成功し転落した時の『彼』では外見も中身も別人であった。考えてみれば『成功』というのはある種の『不遇』の正反対にあるものと言える。そういう時期に、『不遇』の時代を忘れない人こそが、本当にいつまでも上手くいっている人の共通点ではないだろうか。そしてそれは、事業成功者に限らず、あらゆる人に対し言えることであり、本当に大切な心構えだと思うのだ。
スポンサーサイト

コメントの投稿

コメントの投稿
装飾
非公開コメント


トラックバック

トラックバックURL



▲このページのトップへ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。