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明日が来るとは限らない

2010年09月18日(土) 03:20

昨日たくさん寝てしまったから今日は寝ないで勉強をする。しかし、ここで大事なことを言わねばならない。

「明日起きれるといいね」

この言葉を聞いて、他人事だと思った人。それは大きな間違いだ。私は21歳だが、常に20代で死ぬことを意識して行動するようにしている。予定では29歳くらいで死ぬことにしている。もちろん、運が良ければそれ以上長生きができるだろう。というのも、平均寿命が延びたことで「時間」のありがたみを忘れてしまうという「代償」があるからだ。仮に、私が80歳まで生きられると意識した場合、

「まだ死なないから適当に過ごそう」

ということになりかねない。不幸極まりないことだ。そうではなかろうか?だからこそ、20代で死ぬことを視野に入れて行動したほうが「時間を大事」にできるのだ。一流のプロフェッショナルは「時間=コスト」という認識を当然のことのように意識しているが、たいていの人は、時間よりもお金が大事だと感じていると思う。それは大きな問題だ。「お金」がなくなっても稼げばいいだけだが、「時間」を買うことはできないのだ。世の中で買えないものの一つ、それは「時間」なのだ。もしかしたら、今後人間の未来においては「時間」すらも買える時代がくるかもしれない。だが、残念ながら、私もあなたも「時間」を買える時代には生きていない。これが現実だ。そのため、今日と言う日は二度と来ないし、1秒たりとも戻ることはできない。いや、一刹那前にも戻れない。そして、人は必ず死ぬ。これは普遍的な事実だ。いまだかつて、「死」という現象を成し遂げなかった人は一人もいないのだ。そのため、朝眠いと感じた瞬間に、壮大な使命感が湧くのである。

「あとわずかしか生きられないかもしれん。今この瞬間を無駄にすることは愚かだ」


そのため、「平均寿命」などを意識せずに、「あと5,6年」で死ぬかもしれない。「もしかしたら明日死ぬかもしれない」という意識を持つことにしている。そうすれば、より豊かな時間の使い方ができると感じたからだ。ここでSBIの北尾氏(中国古典の愛好家としても有名)の言葉を引用する。


『若い時は死を意識することがないから、自分の死が後ろに迫っているのがわからない。だから時間を無駄に過ごしてしまうのです。たとえば、大学生が勉強をせずに1日マージャンに明け暮れているような姿をみると、なんとい馬鹿げたことか、もったいないと思います。道元は「親が死に瀕してしても行くな、親の葬式にも行くな、お前のやることは道を究めることだけだ」と厳しい言葉を残しています。それだけ時間と言うものを惜しまなくてはならないということなのでしょう。人間と言うのは、誰でも死ねば灰塵に帰すものです。だからこそ、生きている間に、死後に残る何かをしておく必要があると思うのです』

たしかに、戦時下の時代の日本人や、中東で生まれた若者と日本の若者とでは、「死生観」一つとっても、考えている深みのレベルが全く違うだろう。これは「平和すぎる」ことの代償いえるだろう。高杉晋作、吉田松陰は、私が世界で最も尊敬する人間の一人だが、29歳で死んでいる。一人は処刑されているが、そもそも、その時代の人の平均寿命は「40歳」行くか行かないかのレベルだったのだ。しかし、彼ら2人の名は今もなお世界中に影響を与えている。それはつまり、「死後の世界に自らの存在価値を発揮」していることにつながる。常々人間の価値は「死後」の世界にどのような貢献をしたか。であると感じるが、近頃の日本の「平和」的な世界においては、それとは正反対の気持ちで行動している人が多いのではないかと感じる。これは国家のためにも大きな問題と言えるだろう。明日起きれることを祈り、今日も自省をする。



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