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怒りをどう利用するかがカギ

2010年09月15日(水) 14:37

毎日のように凶悪犯罪が起こっているが、私が特に気にしているのは「無差別殺人」である。たしかに、他人事と言えば他人事だが、被害者がかわいそうでならない。ここでいう被害者とは「殺された」「重傷を負った」人のことを示しており、決して「社会に取り残された犯人」のことではない。私の敬愛する石原慎太郎氏の支援する会に「戸塚ヨットスクール」というものがある。戸塚ヨットスクールの校長は「戸塚宏」という男性だ。彼は無差別事件において次のように話している。

「犯人も被害者であり、殺された人たちは2次被害者なのだ」

・・・私はこれは難しい問題であると思う。秋葉原の無差別事件において、犯人は、幼い時から親に虐待を受け(質問に答えられないとお風呂場に顔を沈められたらしい)ていたという話がある。これはひどい話であり、人格がおかしくなってしまうことも十分に同意できる。しかしながら、彼のいけないところは、その「負の過去」から生まれた「怒り」を、悪い方向に利用してしまったということだ。ここでいう利用とは、怒りから生まれる「エンジン」(起動力)のことである。自慢じゃないが、私は「怒り」から生まれる「エンジン」を利用するプロであると自負している。そのため、日ごろ感じるあらゆる「自分に対する怒り」「社会に対する怒り」「大学に対する怒り」・・・等を、未来が明るくなる方向に誘導する「エンジン」として利用している。怒りは大きければ大きいほど「大きなエンジン」を生むため、怒りを感じるたびに「ラッキー」だと感じることにしている。現実的に、怒りを感じることは「ラッキー」なことであると言いきれる。しかし、そこには条件があり、「怒り」を「他者を抑圧するため」「人を殺すため」「犯罪」などに利用してはいけない。その原因として、「感情コントロールの欠如」が挙げられる。おそらく、無差別事件を起こす人は「感情コントロール」が下手である。感情コントロールが下手な人のパターンは、「すぐにキレる人」である。これは明らかなことだ。「怒り」を感じたとき、「死ね」「うぜえ」「殺すぞ」「こらぁ」などとエモーショナルな罵声を浴びせる人がいるが、それは全て「感情コントロールの欠如」である。それはすなわち「弱さ」の表れだ。

アメリカの不動産ビジネスの顔である「ドナルドトランプ氏」は次のように言っている。

「制御不能な怒りはタフさでもなんでもない。それは弱さだ」

本当に感情をコントロールできれば、冷静に「おい、なぜそのようなことをするのか言いなさい」「言えないのか?あまり人をバカにするものではないぞ」等と言えるはずだ。そうそう、先週もモスバーガーの店員の「にやにやした表情」に対し「私の顔に何かついていますか?すごく不快。他の客も嫌がるからやめたほうがいいぞ」と述べたのは記憶に新しい。彼女は表情をもとに戻し、その後はしっかりと接客をやっていたようだ。無礼な者には容赦のない行動を示すのは当然のことだ。とはいえ、これはあまり良い現象とは言えない。本当ならば、そこで「怒り」の発散をせずに、「怒り」を貯めておいたほうが、後々大きなエネルギーの開発につながるからだ。大きなミステイクだった。

先ほども申した通り、「怒り」とは上手く利用できるものだ。この世に「怒り」ほど大きなエンジンを生みだすものはない。人間のエンジン、それは「食事」ではない。食事は生きるためには不可欠だが、「行動する意欲」を生みだすエンジンを生みだすためには、「怒り」が不可欠なのだ。その場で大きな声を出して発散するのも時としていいが(もちろん、キレると言う意味ではなく、冷静な怒りを表すという意味だ)、基本はほかの「未来が明るくなること」に不可欠なエンジンの開発に利用するべきだ。以上、前々から考えていた私の「怒りの使い方」だ。



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