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  金太郎飴は甘くて脆い

2010年01月23日(土) 22:02

昨日は公衆衛生学の教授とかつ丼を食べながら話し合いをした。私が思っている以上に「K先生」は子供心を忘れていない人間であった。子供心を忘れないとはどういうことか?そのことについて述べる。そもそも、日本において「君は大人だね」と言われることは、私はうれしくない。私からすると、それは「侮辱的」と言い換えられる。なぜならば、日本の大人で「大人らしい」人にお目にかかることはほとんどないからである。欧米、中国でいう「大人」とは全く違うのである。今は「YOUTUBE」の時代だから、外国のメディアも何でも見れるのだから、ぜひご確認していただきたいが、日本の大人とは全く異なるところがある。それは、「日本でいう大人が金太郎飴」ということである。つまり、「誰もが同じ発想や似たような思想で固まってしまっている=組織の和」という考えの持ち主が多いのである。これを日本では「大人」と呼ぶのである。よくいうではないか。「さっちゃんは大人だねー、太郎も大人になりなさい」・・・こういうケースの場合、「空気を読んで言行するさっちゃんを『大人』といい、空気を読まず、自分の考えをもとに言行する太郎を『子供』という」ことが多い。哀れというか、なんというか、「お主もダメや」という感じである。空気を読まない人を「KY」という日本人、差別することを「大人」ととらえることに価値観を赴く人々、この国には「個性」を認めるという前提がそもそもないのだろう。私の72個の座右の銘の中でも特にお気に入りの一つが、
「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」(くんしはわしてどうぜず、しょうじんはどうじてわせず)。
孔子のいう「和」とは、自分の主体性を保ちながら他の人々と協調すること。「同」とは、無原則に協調すること。つまり、「君子というのは、協調性はあるが無原則な妥協はしない。それに対して小人は、無原則に妥協するばかりで真の協調性には欠けている」という意味である。
「中国古典」の著者の権威である「守屋洋」氏は次のように言っている。「たしかに、小人たちの組織は、調子のいい時は集団のパワーで大きな力を発揮するが、いざ壁にぶつかると、意外な脆さを暴露する。本来、強い組織や社会というのは、それを形成するひとりひとりが他とは違う個性をもっている。和して同じない生き方を許容してこそ、本当に強い組織といえるのではないだろうか」
あなたもこれを座右の銘にするといい。「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」(論語)


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