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無差別事件は「価値観」の欠如

2010年06月27日(日) 11:52

秋葉原の無差別通り魔事件と同様の事件が起きた。
(以下http://mainichi.jp/select/jiken/news/20100623k0000m040130000c.html参照)

広島市のマツダ本社工場で22日、乗用車が侵入し11人が死傷した事件。殺人未遂容疑などで現行犯逮捕され広島南署で調べを受けていた同市安佐南区上安2、同社元期間社員、引寺(ひきじ)利明容疑者(42)は同日午後6時半過ぎ、近隣の海田署へ。駐車場の車の前で目を細めて空を見上げた。

 広島市安佐南区の引寺容疑者の自宅は同日夜、広島県警の家宅捜索を受けた。アパート2階で1人暮らしだったという。下の階に住む20代の女性は「(事件前日に)上の階からドーンという音がした」と話した。近くに住む主婦(31)は「太っていて、眼鏡をかけていた。トラブルはなかった。不定期に働きに出かけているようだった」と語った。

 ◇「言葉になりません」
 マツダによると、犠牲になった浜田博志さん(39)は、職場の車軸課がある建物に向かって歩いていて事件に遭遇したとみられる。

 浜田さんの妻、彩さんは22日、広島県警を通じて「夫が突然このような事件にあい、大変ショックで言葉になりません」などとするコメントを出した。


・・・・・・
このような事件が起きるたびに

『「雇用の問題」「未婚」が背景にある』

という報じ方をするが、これはナンセンス極まりない。メディアのレベルの低さの表れだ。雇用の問題や未婚の人は数多くおり、そのような人たちが「無差別事件を引き起こしやすい」という短絡的な考えはいかがなものか?そもそも、今現在は未婚の人がたくさんおり、雇用の問題を抱えている人も数えきれないほどいる。しかし、だからといって、加害者のような不満を持っているたちばかりではないのは自明である。たしかに、私の知っている限りでは、日本人は「悲観的」な人が多く、「怒りの変換」が苦手な人が多いと思われる。この根本原因は「価値観の欠如」である。この最後に挙げた「価値観の欠如」こそ、無差別事件の背景にあると考えるのが私の持論だ。そもそも、なぜ、このような事件が起きるのか?シンプルに考えるとすれば、ステップとしては次の順序と言えるだろう。

①比較する
②怒りを持つ
③悲観する
④絶望する
⑤犯行に及ぶ

日本人が海外の人と異なる最大のポイントは「無宗教」であるということだ。たとえば、アメリカ人のほとんどは「神がいると信じている」ため、確固たる気持ちで「罪の意識」を考えている。罪を犯すと神様に罰せられる。そのため、他の人が罪を犯していても、私は「罪を犯さない」という強い信念のもとで選択ができる。この1例から考えてみても、「神を信じていない」人にとっては、「神様が私を罰する」などという考えそのものを否定するのは当然であり、選択にも違いが出てくる。これはある種の宗教による対立であり、歴史にもあるように、人々は宗教の対立による「戦争」を数多く繰り返してきた。これは言い換えれば「価値観の違いによる争い」である。
私は「価値観の違いによる戦争」に賛成をしているわけではないが、ある種の「確固たる価値観」という者が必要なのではないか?と考えている。また、欧米人の最大の特徴は「まず第一に家族」という考え方である。彼らにとってもっとも大事なものは家族であるため、高校生が家族と一緒に出かける、遊びに行くなどというのは日常的な話である。たとえば、日本では「家族」の話題を出すだけで「マザコン」「カッコ悪い」などという見方をされる傾向にあり、夕飯を一緒に取らない人の割合も多い。これは欧米ではめったい見られない特徴である。私は、ここに日本人の大きな問題があると考えている。それは、個人が「確固たる価値観」を持っていないということだ。
日本では「みんな同じ」という聖徳太子的な価値観が9割以上を占めているような気がしてならないが、「個人個人違う」という価値観を創る時代に来ているのではなかろうか。先ほどのステップに話しを戻すが、②の「怒り」は「比較する」という選択がなされた結果として生じる。確固たる価値観を持っていれば、そもそも「比較」という選択をすることはない。また、たとえ比較をして怒りが生じたと仮定しても、怒りというのは「大きなエネルギー」を生むことに他ならないため、怒りを利用する方向によっては、不可欠なエンジンにもなりうる。しかし、今回の犯人にしても秋葉原の犯人しても、その「怒り」を「エネルギーに変換」する力の欠如により、怒りを「悲観」に変えてしまったといえる。その起因となる因子こそが「価値観の欠如」なのである。自分だけの座標軸をもっていれば、「怒り」が「悲観」になることはなく、「絶望」→「犯行」などというステップを踏むことはあり得ないのだ。一言でいうならば、「価値観」というのは「自律」のために不可欠な道具だ。そして、
           自律をすることこそ、価値観をもつということなのである。





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2010/06/27(Sun)22:56

被害者がかわいそうですよね。今回の犯人も秋葉原の人も鞭打ちで始末すべきです。

名前:ゆうみ (URL) 編集

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