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価値観が無い(No Values)

2010年06月20日(日) 20:28

興味深い話があったので、以下のサイトに載せられていた文章を下に載せる。

http://blog.globis.co.jp/hori/2010/06/post-5d3d.html

国際社会と日本社会の価値観の違い~その1)東アジア経済サミットでの問題発言に思う

雨のホーチミン。バイクがうごめき、クラクションが鳴り響く。バイクをよく見ると、男女のカップルが多い。後の女性の乗り方で二人の親密度がわかる。

ダボス会議を運営する世界経済フォーラム(WEF)が主催する「東アジア経済サミット」が開幕した。ホテル・ウーマンの水色のアオザイが、映える中、ホテルにチェックインし、会場に向かう。親しい友人と握手をして再会を喜び、日本から来た仲間とも会釈をする。会場は、ホテルのワンフロアで、比較的小ぢんまりとしている。その会議で、大きな問題発言が飛び出した。


「アジアの若者」のセッションでの、人材派遣会社のアデコ社のアジア太平洋地域のCEOのマーク・デュレイ氏による発言だ。彼は、次の通り述べたのだ。「日本の大学で教えており、そのクラスの半分が日本人の学生だ。日本の若者は、価値観を持たない(No Values)」、と。そして、「もう少し詳しく説明しよう」と前置きして、次の通り続けた。

「日本の若者は、ルイ・ヴィトンのバッグと携帯電話さえ持っていれば、それでいいのだ。クラスでも全く授業を聞かないし、携帯電話で遊び、友達と会話して、話を聞いていない」、と。

僕は、唖然とし、モデレーターも、「強い発言ですね・・」と論評しないで、次に話が移った。アデコの日本在のアジア太平洋地域のCEOが東アジア経済サミットの場で発言する内容だろうか。しかも前後の脈絡が全く無い中での発言だった。

僕は、憤慨したので、パネルが終わった後、前に出向きデュレイ氏に質問した。「どこの大学ですか?」と聞いたら、「大分にある立命館である」と答えが返ってきた。公の会議の場で出た発言であり、オフレコではないのだ。立命館関係者には、是非釈明を求めたいし、立命館の学生からは、コメントが欲しいと思っている。

その場にいたオイシックスの高島社長も、憤慨していた。「今回の若者プログラムには日本人が一番多く参加していたのに。アデコ社とはもう取引をしない」と言っていた。

この会議は、主催国のベトナム以外には、ラオス、カンボジア、そしてミャンマーの首相が参加する会議である。当初は、日本から枝野さんが出席する予定だったが、新内閣発足にともない欠席することになった。急遽タイ国首相も参加する重要な会議である。その場で出たのが、上記の問題発言である。

ここで、僕の見解を書きたいと思う。正直言って、僕の大学時代は、サボってばかりの学生だった。つまり、デュレイ氏の言う、全く勉強しない学生の一人だった。今の日本の学生は、以前に比べると就職が厳しくなったからもっと勉強していると聞いていた。だが、もしかしたら昔と似たりよったりなのかもしれない。だが、だからと言って、「日本人の若者には価値観が無い」と言うのは、極論であり、且つ一般化し過ぎだと思う。

「価値観が無い(No Values)」と言うのは、「人間でない」と同義だと僕は捉えている。価値観を持たない人間など、僕にとっては考えにくいし、もっとも侮辱的な発言だと思う。「ヴィトンのバッグと携帯を渡せば満足する」という発言を見過ごすわけにはいかない。日本人として、断固として抗議し、問題発言には責任を持ってもらうべきと考えている。

僕がなぜ、ここまで強くツイッターで発言し、ブログを執筆しようと思ったのか。それは、この問題発言の裏側に、日本人が克服すべき課題があると思っているからだ。日本の環境では、批判・非難されても、「大人の対応」をするように促され、聞き流すことが多いし、それが良しとされてきた。だが、国際社会で、聞き流すと、「反論できない弱虫」と捉えられる事が多いように、経験的に思っている。

マーク・デュレイ氏の略歴を見ると、日本が長い。なのに、あの大舞台であの発言だ。恐らく(これは僕の推測だが)、彼は日本の友人に対して、あれと同等の発言をしてきたのだと思う。だが、みな反論をしないで、聞き流してきたので、彼がそれを正しい意見と勘違いして、言い続けてきた結果、あの大舞台での発言に繋がったのではないだろうか。誰かが、反論をしていれば、その前に止まった発言だと思う。

僕もよく日本在の外国人と会食をすることがある。その度ごとに、討論になってしまう。彼らは一様に、なぜ僕が反論するのかが不思議そうな表情を浮かべるのである。僕は、そのたびごとに、「今まで反論されて来なかったんだろうな」と内心思っているのだ。

誰かが強く反論しないと、その意見は正しいと思われてしまうのが、国際社会だ。甞められても、批判されても、黙り続けていると、さらにエスカレートしてくる。だからこそ、問題発言に関しては、ピシャリと「間違っている」と叫び、その発言の責任を問わなければならないのだ。でないと、同じ発言が続き、結果として既成事実化していくのである。そして、国際世論がその方向に形成されてしまうのだ。

つまり、日本の価値観で世界と向き合ってはいけないのだ。日本(人)は、「大人」なのか、「弱虫」なのか、静か過ぎると思う。批判されたら反論する。侮辱されたら、発言の真意を問い、責任をとってもらう。この姿勢を全員が持てば、日本に対するトーンは変わり、日本への信頼は増すであろう。

僕は、次にマーク・デュレイ氏に会ったら謝罪を求めようと思う。もしも対応が芳しくないならば、またツイッターやブログの場で、僕が思ったことを皆さんに共有したいと思う。僕は、決して、デュレイ氏が嫌いでも何でも無い。アデコ社にも何の恨みも無い。ただ単に、自分が正しいと思う言動をしたいだけなのである。

2010年6月7日
ホーチミンのホテルにて
堀義人
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