<
< 2017年07月 |  12345678910111213141516171819202122232425262728293031 | 2017年09月 >
ホーム  > スポンサー広告 > 日本人 弁解 > 会長の考え > 日本人 弁解

スポンサーサイト

--年--月--日(--) --:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

日本人 弁解

2010年05月04日(火) 13:00

昨日、一昨日と千葉(九十九里)の別荘に行ってきたが、これは毎年10回くらい行く恒例行事である。やることは農作業のみ。楽しいか?と言われれば楽しいとは言えないが、森が敷地の中にあるため、自然の空気を吸うことができるので健康には最高にいい。今度、Lの談話室のフィクサーとそのフレンドを連れていこうと考えているところだ。東京にいると汚い空気に汚染されてしまい、のんびりすることなどできないだろう。そういう意味では田舎というのは必要である。また、昨日はおじさんが子供とその友達をつれてやってきたのだが、その子供の「レベルの高さ」には驚かされた。おじさんが弁護士と言うこともあり、彼自身も国際弁護士になることを決意しており、小学校3年生とは思えないほど「堂々」としており、それは弁護士的な性格と言えるだろう。おそらくその起因となっているのは、海外体験であろう。彼は10歳といえども、すでに100往復くらい海外に行っており、それはすなわち、幼い時から国際的な感覚を持ち合わせていることを意味する。さすがは弁護士、良い教育をしているといえるだろう。

たしかに、良い教育の一つに、「海外に積極的に連れて行く」が挙げられるだろう。海外に行けば、多くの価値観があることが分かり、「日本人と同じタイプ」がどれだけ少ないかが分かるだろう。発想一つとっても異なると言える。「男だから泣くな」とか「~ちゃんもやってるんだから」とか「私の息子はだめです」などという『自分の子供を過小評価するような発言』をする愚かな親は、世界では軽蔑されるだろう。プロ野球をみればわかるだろう。日本の選手は「がんばりました」「だめでした」「次はがんばります」などの一言で終わるのに対し(スピーチではない)、メジャーの選手は「今回は~だった。ここは良くて、ここは悪かった。次はさらに良いプレーができるだろう。期待してくれ」などのスピーチをしっかりと行う。もちろん好みの差はあると思うが、彼ら国際人の特徴は、自らの行動を分析し、「なにが良くて、何が悪かったか、次はなにを期待するか」に対して、楽観、ユーモアをまじえスピーチすることだ。これこそプロ意識ではないか。「おっす」「はい」「次はがんばります」などという素人でもできる発言しかしないのはなぜだ?・・・私なりの分析でいえば、「弁解するな」という日本の「美徳」によるものだろう。日本では小さい時から、「弁解するな」「言い訳するな」と言われて育ってくる。電車が遅れて遅刻をしても、お年寄りの緊急介護をして遅刻しても「自分が悪いです。遅刻しました」と言わないと「言い訳するな」「女々しい」などと言われる。そもそも、「女々しい」という発言そのものが差別用語であり、女性を軽視した発言と言わざるを得ない。このように、日本では「弁解」をしてはいけない教育が徹底されているため、それが一つの空気となり、スポーツ界でも浸透してしまっているのだろう。「大いに弁解は必要」という教育方法にしない限り、日本が人材で世界に誇ることは不可能だろう。いつの時代でも、日本が「人ベース」で世界にアピールできたことはほとんどない。バブルの時代でも同じだった。つまり、世界から見た日本の魅力は「商品」であり、決して「人」ではない。



人と会うことはとても貴重な体験であり、勉強になるが、できれば自分とは異なった文化の人たちと会うほうが、より勉強になるだろう。また、私の辞書に一つのページが追加されることになった。


スポンサーサイト

コメントの投稿

コメントの投稿
装飾
非公開コメント


トラックバック

トラックバックURL



▲このページのトップへ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。