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ニュージーランドの大学生  池部敦氏

2010年03月26日(金) 02:35

今日(昨日)はジムで「ホリエモン」に6回目の遭遇をした。いつもはジムの帰りに合うのだが、今日はトレーニング中に前に居られた。「派手なトレーニングウェアを着ている人がいるなあ」と思ってたら、ホリエモンだったのだ。実は、昨日夢の中で「ホリエモン」が出てきたため、極めて「偶然」と言えるだろう。私は昔から正夢というものを何度も見てきているし、考えたことが現実になることはしょっちゅうある。以前、フランス語の先生に「おお、君は病人見たいだね」という無礼なことを言われたが、実は前日の夢でも全く同じ場所で同じセリフをいわれたのである。・・・そのため、偶然がおきても最近は驚かなくなってきている。

本題に入るが、今回紹介する人は「池部敦」という人物だ。年齢は渡し同じで「21歳」。同年齢の人がニュージーランドで何を思っているのかー。を紹介する。先ほどの「日本の教育は世界最悪」ということがかなり切実に伝わってくる内容である。  これは彼の著書「さらば受験の国」のプロローグを載せたものだ。とにかく、彼の「勉強を愛する気持ち」「誠実さ」「情報に対する貪欲さ」が伝わってくる。とてもお勧め本である。



池部敦氏による「ニュージーランドにおける教育」
「さらば受験の国」のプロローグの一部
日本と言う国はどこかおかしくなっている。私は長い間そう感じていた。毎朝、学校に行くときに乗る電車の中で見る人々は非人間的に箱詰めされ、疲れきっていた。無感動で生命力が感じられなかった。人々は人生の意味を見失っているように見えた。私を含めて、シニシズムと否定が全員の上を漂っていた。希望や夢や理想を奪い、追求しなくなった社会は「精神の砂漠」といえる状態となった。ほかの人と違っていることを許さない風土。乾燥し切った風土を緩和するユーモアの欠如。無邪気な笑顔が無く、笑顔は礼儀正しいことの証明のためのみにある。積極的な態度もなかった。学校での授業に身が入らない生徒たち、邪魔をする生徒さえいた。思いやり、同情、利他主義、倫理などの欠如・かけ声だけの「変化」や現状よりよくなったとはいえない「変化」。学校は教育機関と言うよりロボット工場のように見えた。それはヒエラルキーに忠実で、疑問を持たない生徒を作っていた。先生は教科書に書いてあることだけを教えていた。質問もなく、議論もなく、エッセイを書くこともなかった。その授業は生徒が真実を探求し、愛すること、偏見から自由を学ぶことを目的としたものではなかった。教育とは学ぶという愛を育てるものである。疑いなく、日本の教育は生徒たちの学習というものに対する憎悪を拡散させていた。もし、教室で批判的な分析がなく、教科書を理解するだけが授業なら、教科書を家で読んでいれば目的は達成される。日本の小中高校の10万人を超える生徒が不登校という事実は、いじめだけが原因ではないだろうと思わせる。教育に対するこの態度は特に社会科学において有害で、議論は必須だ。多様な意見や見方があるということを知ることがすべてなのだ。盲目的な従順さを危険と思わず、美徳と考える方が危険なのだ。すべての授業が、良いといわれる大学の入学試験に合格することに集約されていた。良い教育を授けてくれる大学に対する熱狂は良いことと言える。しかし、多くの大学の入学試験で出される問題は、テレビのクイズ番組よりちょっとましという程度だ。例えば、その近代世界に対する影響などの意味を考えることはなく、フランス革命が起こった年代を覚えることにはどんな意味があるのだろうか。そして、良い大学を出た後の生活も期待できるものではなかった。大会社に入って働くことが人生でどんな意味を持つのだろうか?いや、大学を卒業するとそうした人生が待っている、というわけではなかった。就職氷河期と言われる時代が続き、学生時代を我慢し続けても親に頼らないといけない低賃金の仕事しか与えられない人が何百万人もいた。与えられた環境で黙って言われたとおりことをしろ、というような教育を受けさせておいて、文化的な生活ができる賃金が得られる仕事も与えないのだ。そんな過酷な未来が待っているならば、私たちは余計そうした状況を自力で解決できるような思考の訓練を積まなければならない。
アクティヴィズムに関心が薄いことにも失望させられていた。アクティヴィズムとは社会を良くしようと行動する活動全般を言うが、私は自分の信ずる「進歩的あるいはリベラルな行動」と言う意味で使っている。よりよい社会を作ろうというアクティヴィズムについて周囲はほとんど関心を示さなかった。また、世界的な視野がないことも不満だった。8歳の時にはイギリスのブレア首相の支持者だった私は、その時から「進歩派(革命派)」だった。10歳の時にはアクティヴィズムに憧れていて、一番行きたいト氏はドイツのフライブルクだった。世界の環境対策をリードし、世界の環境首都だといわれる都市はクール(かっこいい)だと思ったのだ。そこで小川での小規模発電や太陽光発電、屋上緑化のモデルハウスなどを見たが、一番印象に残ったのは、ホテルの洗面台で見た「世界中でどのくらいのタオルが毎日洗濯されているか想像したことがありますか」とタオルの交換を控えるように促す文章だった。ホテルに備えられていたタオルは厚く豪華だったが、それを毎日交換することをクールとは考えていなかった。地球環境に配慮する行為のほうがクールだったのだ。
ニュージーランドの教育の魅力。それはまず授業のレヴェルの高さにある。そして、国際感覚が磨かれる。英語力は当然向上する。そして世界を良くしようと思う高校生に適した課外活動もできる。私の処女作である「さらば受験の国」には、そうしたことに関心のある高校生にはぜひ読んでほしいし、場合によっては大学生にも参考になるかもしれない。ニュージーランドの高校に入学してみてわかった授業の特徴を一言で言うと、日本で私が受けた授業はノートと教科書を使った記憶中心のやり方だが、ニュージーランドではディスカッションとエッセイ、調査を中心とするやり方だったことである。ニュージーランド人の価値観、それは自由にものを考え、多くの人と討論し、より良い社会・世界を作ろうと行動することだった。実はその考えこそ、私は日本で理想としていたものだった。個に価値観は国籍とは関係ない。どの国の人間にとっても重要なことだ。
また、先生は長所を手放しで褒めてくれた。いや、それ以上だっただろう。例えば、成績表には「敦はクラスの貴重な一員です。学習している問題に心からの興味を持ち、クラス討論に良く参加して不快理解を分かち合いました。今年、敦と一緒に学ぶのは私の大きな喜びでした。彼は今後自分の選ぶ分野で才能を発揮することでしょう。私は彼の成功と幸福を願っています」と書かれてあった



この本には、著者の体験に基づいて、ニュージーランドにおける教育と日本の教育の違いを考察している。また、国際人の考え方がいろいろとうかがえた。これは良い本にあたった。驚くことに、この本は18歳のときに書かれたものだ
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