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無能な指導者と偉大な指導者の違い

2015年04月12日(日) 00:55

無能な指導者は「自分の指導力不足」を認識している。だが、それを素直に認めようとしない。一方偉大な指導者は「自分の指導力不足」を同様に認識している。だが、それを認め、工夫と改善をし続ける。そして、偉大な指導者となる。

無能な指導者はこんなことをいう。

『俺は教えない。盗んで覚えろ!』

『新人は3年間は掃除してろ!』

指導力がない自分自身を認める強さがないため、言い訳をしている過ぎない。

だが、昔の人はこれを素直に受け入れ我慢した。指導者のおっしゃることは正しい!と。

あるいは、反感を持つ人は自分の親に相談する。するとその親は決まってこう言う。

『その指導者が正しい。お前は新人だ。黙って言うことを聞いてろ!』

これはある意味自然の流れと言える。そもそも、世の中の9割は失礼な言い方で申し訳ないが、『才能を開花できないで死ぬ』。これは真実だ。多くの人が我慢と妥協の連続で人生を終える。それは子供に、後輩に伝播し続ける。なぜなら、

「人は、自分ができなかったことを正当化したい」からだ。

自分は間違っていた!と認識できるような大物は、そもそも、いくらでも人生を挽回できるだろう。それができないから、死ぬまで挽回できないのだ。

今日の要点 
⇒ 考えよう。それは本当に適切なことか、を。それは無能な指導者の言い訳ではないか、と。なぜならば、人生は1回。誰もあなたの人生の責任はとれない
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