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2010年03月19日(金) 01:57

少なからず、私は体育の教師には「批判」を繰り返してきたつもりだ。I先生という唯一理解できる先生もいたが、たいていの体育教師はおかしい。
なぜ、全員が同じ種目をやらねばならないのか?
なぜ、楽しむということを前提としないのか?
・・・この2つの疑問を体育の授業では感じざるをえなかった。

日本の「体育の授業」が日本の国民性を形成しているといっても過言ではないと強く思っている。体育でよく見られる現象として、「プレーを失敗したものをエモーショナルに批判する」。これらの批判は決して建設的ではないし、とても危険な現象である。たとえて言うならば、中国の実態を知らないものが、空気に合わせて、「中国はクズだ」「中国人は民度が低い」などと言うことや、感情的になって犯罪を犯してしまうことなどと同義である。これらの現象は、すべてが「感情コントロールの欠如」と「空気支配」による人間の危険な行動によるものだ。プレーを失敗したことに対し「別に楽しめればいいよ」という「やわらかい考え」はないのだろうか?といつも疑問に感じていた。

体育というのは「運動」をすることであり、運動は本来楽しむものである。一体どこの国に、軍隊でもないのに、学校の体育の授業を神経質に行う国民がいるか?・・・韓国もアメリカも徴兵制度は20歳を過ぎてからのはずだ。想像してみてほしい、10代のニューヨーカーが神経質に体育の授業をしている姿を、10代のイタリア人が深刻になって体育をしている姿を・・・・・想像もできない。というか、都市伝説だろう。


体育の時間になると、多くの人は感情とその場の空気に合わせて「失敗したものを批判」するという構図ができている。おそらく、今もそうだろう。私もプレーを少し間違えただけで「うざい」だの「馬鹿」だのとよく言われたものだが、その間、体育教師も真剣な目で私のことを見ているのだから、「この人たち大丈夫か?」と感じることがたびたびあった。これが日本の幸福度を下げていることにつながっているかは分からないが、10代は「人格形成」の時期でもあるのだから、このような「危険な行動」は避けるべきである。こんなことより、音楽を聴いたほがいい。


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