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無駄な争いを好む人たち

2014年11月24日(月) 17:05

私にとっての世界の七不思議の一つは、「意味のない争いを好む人が多い」ということだ。いわゆる、永田町の権力争い、大企業のポスト争いにおける政治争いなどは『ある種の人間の本能』として理解できるが、私が不思議に思うのは、そのような大切なポスト巡りではなく、どうでもいい小さなプライドを満たすために行われる争いのことだ。

もし、その争いに勝つことで『お金が生まれる』『人生が潤う』ならば、争いをすることの価値はあると思う。だが、『お金も生まれない』『人生も潤わない』ことに労力を使う意味はどこにあるのだろうか。

たとえば、私が学生時代に模擬試験を受けに行くと、隣席に座る人は、必ずと言って良いほど、虚勢を張っていた。まるで、『俺は友人がたくさんいる。イケてる男だ。お前は俺にもっと敬意を示せ』と訴えているかのうように。試験中は頻繁に足を組み換え、鉛筆を置く音もわざと大きくするなど、極めて目障りな存在だったため、すぐに受付にて『隣に障害者がいるから試験に集中できない。席を変えて欲しい』とその場で席を変えてもらったこともある。少し話は逸れるが、心からお勧めするが、

『誰に対応するか』

を意識したほうがいい。不当な目にあったら、誰に意見を言えば、最も効率的か?を自らに問うべきだ。レストランで不愉快な思いをしたら、ウェイトレスにクレームをいうのではなく、その店の責任者に忠告をすべきだ。基本的にオーナーは社会的な成功者であり、人格者であることも多い。短時間で効率のよい結果を出したいならば、中枢に働きかけるのが一番最良の選択だ。・・・言うまでもなく、その代償を支払うことは覚悟すべきだが。

この世に、リスクのない行動は何一つない。効率の良い結果を出すためには、必ずリスクを伴う。だが、それを負うのと、第1プライオリティーを侵害されることのどちらが嫌なのか、自分自身に問うべきだ。

さて、話を元に戻すが、世の中には、何の生産性もないにもかかわらず、虚勢を張り、争いを好む人がいる。彼らは所構わず自分の存在を肯定してほしいらしく、その手段として誰かを疎外して優越感や団結力を得ようとする。私は昔から大きな声で非難することが好きなため、この手の人たちを黙らすことは容易だが、そのようなことをする気は全くない。なぜ、私の貴重な労力を、彼らのようなクズに割かなければならないのだろうか。よって、最も労力のかからないやり方で対応をしているのだが、そもそも、

なぜ、自分の存在を肯定して欲しいがために、『誰かを疎外して安心感や優越感を得ようとするのか』が、私には全くわからない。差別、いじめと全く同じ構図だが、よほど自分に自信がないのか、よほど他にやることがないのか、いずれにしても、相当な後ろ向きな理由が存在するはずだ。

私が問題視してるのは、この手の『後ろ向きな人』たちが、いたるところにはびこっていることだ。私はこの手の人たちを『精神未熟な障害者』と呼んでいるが、彼らを治療する施設も、収容施設もどこにもない。よって、前回と同様の結論になるが、

昔からの格言にあるように、

『人を変えようと思うな。自分を変えろ』

に従い、

『精神未熟な障害者』とはかかわらず、『精神成熟な明るい健常者』との付き合いを自ら選択していく必要があると思う。

私は昔から『誰かの悪口』や『無駄な争い』や『人を見下す』などの態度は大嫌いであったが、ぜひ、人生を明るいものにしたい人は、このような姿勢の人と関わるべきだと確信している。
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