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差別 VS 表現の自由 「シャルリー・エブド」が大戦争の引き金に。

2015年01月19日(月) 12:05

最初に質問です。あなたの大切な人を一人思い浮かべてください。

その人に対して、とある力のもった団体が、『キモイ』『クズ』『馬鹿』『アホ』などと冒涜したら、あなたは黙っていますか?

「シャルリー・エブド」本社で起こったテロ事件。私が思うに、これは『ただの恐ろしい事件』ではない。これは、今後巻き起こる、本当に恐ろしい恐怖の事件の序章だと思う。フランス国民一体で、デモをやるのは構わないが、この期に及んで、
差別的な風刺画を再度発表した「シャルりー・エブド」と、それを許したフランスは、世界の恐怖の引き金を引いたとも言える。私は、いますぐにでも、世界中のイスラム教徒に謝罪をする会見を大統領がするべきだと思う。

この「シャルリー・エブド」は問題の多い新聞社で、過去に、日本の福島原発をジョークにとり、相撲取りの手が3つほどつけられた風刺画を発表し、『福島のおかげ』と笑い飛ばしたことがあった。日本大使館は抗議したが、彼らは『謝罪しない』と言い張った。まあ、とんでもない愚かな新聞社だ。弱い立場にあるもの、苦境に立たされているものを嘲笑い、お金儲けすることに喜びを感じる連中だ。

「差別VS表現の自由」というテーマが世界中で白熱議論されている。私の立場は、間違いなく『差別は許されない』というものだ。今回の一件でテロリストのミステイクは、関係のない警備員を殺したという点だ。殺される動画を見たが、手を上げている状態で、抵抗もしていない無関係の人を殺すのは決して許されることではない。しかし、それ以外の被害者の多くは、直接的に風刺画を書いている人たちであった。この点をみると、テロリストたちは計画的に、ターゲットを殺害したと見られる。

この点が、オウム真理教の地下鉄サリン事件や、秋葉原の無差別殺傷事件との最大の違いだ。私は、全く関係のない人が犠牲になるのは断じて許されることではないと思う。だが、仮にそれが『表現の自由』だとしても、その結果、人格を否定されたと思う被害者がでて、復讐をするというのは、適切なことだと思う。

今回は、メディアという強者が表現の自由という名目の『権力』を用いて、数十億人に及ぶと言われるムハンマドの信者を冒涜した。一方のテロリストたちは、立場的には完全な弱者で、平等な立場での反撃手段はなかった。それ故、インパクトを与える『怒り』を示す手段として、「シャルリー・エブド」を襲撃したと思われる。

多くの意見があると思うが、自分の信じる道を否定されさり、嘲笑われるというのは、いかなる個人にとっても、憤慨することは確実だろう。仮に私が熱心なイスラム教徒であれば、今回の一件はむしろ当然の報いと思うはずだ。宗教というのは、その人の人生そのものであり、それを否定したり、嘲笑うというのは、決して許されるべきではない。

それは、今の日本を見ていると、痛切に感じてしまうことでもある。日本人というのは、一部の宗教に入るものや、変わった人、レールに乗らない人を否定・嘲笑するという風潮にある。テレビというツールを通じて、『貧乳』だとか、『ブス』だとか、『老害』とか、『キモオタ』とか、『ガリガリ』とか、『チビ』とか、『肌が黒い』とか・・・差別用語を、全く問題意識を持たずに連発する国というのは、日本と韓国くらいなものだ。日本のバラエティ番組のレベルの低さは、もはや、天下一品と言っても過言ではない。

結論

もし、自分の大切にしているもの(友人でも、家族でも、本でも、宗教でも・・・)を『表現の自由』という名の理由で、冒涜されたとき、あなたはどう思うだろうか。いやぁ~そんなの表現の自由だよ! と爽やかに言えるだろうか。もし、言えるとしたら、それこそ、希薄な、情のかけらもない人間だと思う。この「シャルリー・エブド」の一件を『表現の自由』と言ってしまえば、天皇陛下を冒涜する風刺画がでても、批判はできない。
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