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日本人は世間迎合主義

2014年05月31日(土) 15:44

●世間の敷いたレールが金科玉条?

昔から日本では、男らしく、女らしく、など、「~らしく」という表現がしばしば使われている。すなわち、これは換言すると「こうあるべきだ論」に終着すると言えよう。言うまでもなく、この「こうあるべきだ」という人々の主張には、何のコンセンサスもエビデンスも存在しない。本来、世の中に正解などは存在せず、全ては人間の解釈に過ぎないのだ。

だが、日本では、この「人間の解釈」を大変重要視する傾向にある。その結果、所謂「世間体」などという言葉が頻繁に使用され、世間の敷いたレール(世間の解釈)に乗ることこそが金科玉条(最も大切な法律・規則)だと言わんばかりに、誰もがそこに意識を集中させている。ちなみに、世間とは自分の帰属するセグメントを示しており、家なら家族・親戚、会社なら同僚・上司、友人関係の中では友達が、その人にとっての世間となる。その証拠に、彼らとって帰属しないところは世間ではなく、海外では好き放題自分勝手な行動を繰り返す日本人が後を絶たないという現実がある。

日本人は、世間の敷いたレールや「こうあるべきだ論」に縛られ、息苦しい人生を生きているように思える。

●不健全でも、「皆がやっているから」?

自分が無理をしないと(呼吸を苦しくしないと)認めてくれないような人々に気に入られる必要は微塵もない。それは自虐的であり、健全な状態ではない。だが、日本人の不思議なところは、この不健全な行動を

「皆がやっているから」とか「普通だし」

という理由を並べて、自己正当化するということだ。医者が呼吸困難な患者に治療を勧めているのに、「いや皆そうっすよ」「普通っすよ」と言っているようなものだ。おそらく、日本人は、皆が髪の毛を赤に染めた場合、「皆そうっすよ」「普通っすよ」という理由で、自分の髪の毛を赤色に染めるだろう。

そもそも「皆がやっているから」の『皆』とは誰を示しているのか。そう、それは『世間』のことであり、この国の人間は、『世間のやること=普通=正しい』という認識で生活していることがよくわかる。これを私は世間迎合主義と呼んでいる。

●世間迎合主義は単なる空論

「世間的にね」という言い訳は、どこに行っても聞かない日がないだろう。世間迎合主義者にとって、世間は「神様」であり、まさに、生きる上での精神的支柱になっている。どこを受験する?、大学はどこ?、中小企業?大企業?、公務員?、おいくつですか?、結婚は?、子供は?、子供はどこの大学に?、子供は将来何に?、老後は?、年金は?、週末は?、給料は?、・・・・・・・・この国に生きていると、世間様からこのような質問を必ず聞かされることになるだろう。客観的に見れば、これほどの『余計なお世話』は存在しないのだが、当たり前のように、挨拶がわりにこのような話を聞き出そうとしてくる。そして、こんな質問は無視をすればいいのだが、誰もが『ベストアンサー』を答えられるように心がけ、常にそれを意識して日々を生きている。このようなスタイルで生きている人たちを「世間迎合主義者」と呼ばずして何と呼ぶのだろうか。もはや、世間が中心にあり、その世間に認められようと頑張って生きているようにしか見えない。

さて、ここで極めて大切な事実がある。上記にあげた世間の質問内容をぜひ再度みていただきたい。なにか気づくことはないだろうか。なぜ、彼らは『大学名』『企業名』『結婚相手』『子供の将来』『給料』『老後』などの個人情報を聞き出そうとするのだろうか。この世に目的のない行動は存在しない。つまり、これらを聞き出すことには大きな目的があるのだ。それは、『比較』だ。世間迎合主義の最大の特徴は『他者との比較により、自分の立ち位置を知ろうとする姿勢』にある。彼らは世間という小さな世界の中で、自分の立ち位置を常に明確にしておきたいと考えており、それが故に、個人情報を聞き出し、自分との比較をするのだ。これは日本語で何と呼ぶだろうか。そう、

        『競争』

●人よりも優れていたいという願い

世間迎合主義者が『競争』しようとするのは、人間の本質的なものだ。

人間は、『自分が誰かよりも優れていたいと願う生き物』なのだ。この世に存在する「争いごと」や「問題ごと」の多くは、この考え方故に生じている。だが、本来、『優れている』『特別である』などというものに正解はなく、これらの感情は単なる 『空論』 なのだ。皮肉なことに、この空論が、人々に喜怒哀楽を与えているのだ。

仏教にもあるように、『全ては諸行無常』で、虚しいものなのだ。人間の多くは、その虚しさをまぎらわすために、空論を作って、それをベースに争っているわけだ。

つまるところ、結論を言ってしまえば、この世の全てが空論なのだから、わざわざ「世間迎合主義」に乗っかる必要はないということだ。日本を支配してきた絶対的な「正しさ」であったはずの『軍国主義』は、戦後跡形もなくどこかに消えてしまった。そして、歴史は繰り返される。現在日本を支配している『世間迎合主義』も、いつの日か跡形もなくどこかへ消え去るだろう。その時になって誰も責めてはならない。そもそも、この主義が空論に過ぎないのだから。

●では、どうすればいいのか?

解決する方法は、『自分の主義をもつ』ということ以外にありえない。もっと簡単に言えば、周りに流されて生きるという受動的な姿勢ではなく、もっと能動的に自分の道を歩む姿勢が大切であるということだ。

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